イスラム国について

先日投稿いたしました「イスラム国詐欺」にて、ご不快な思いをされてしまった方がいらっしゃるとの事、大変申し訳ございませんでした。

2015-02-02 23:59:59

先日投稿いたしました「イスラム国詐欺」にて、ご不快な思いをされてしまった方がいらっしゃるとの事、大変申し訳ございませんでした。
この場を借りて謝罪させていただきます。

軽率な記事を投稿してしまい誠に申し訳ございませんでした。

そして、今回の件で最悪な結果に至ってしまった事
被害者のお二方にご冥福をお祈りいたします。

そんなご不快な思いをされてしまった方からご案内いただきました記事等々をくまなく拝見させていただきました。

強調して熟読を促された記事、何度も何度も読み直させていただきました。
あえて当ブログでご案内いただいた記事のリンクを紹介する事はいたしません。

ですが、その記事の内容で印象的だったところは要約させていただきます。

今回の件は「自己責任ではない」
短いスカートを穿いて電車に乗って痴漢されたら自己責任なのか?
悪いのは痴漢した犯人なのではないか?

といった内容の記事でございました。

何千拍手、何千リツイートと反響のある記事でございます。
私のブログなどとは規模も違い、世論と私の考えには温度差がありすぎたと痛感いたしました。

しかしです。
私の言う「自己責任」と世間でも言われる「自己責任」には、少し違いがあるかも知れないと思い弁明させていただきます。

私と今回犠牲になってしまったお二方には共通点がございます。
それは「経営者」である事でございます。

経営者とは常にリスクと対価を天秤に掛けて考えなくてはなりません。
そのリスクが命になった場合でも、対価がそれを上回り失敗の可能性を1%でも排除できるのならば、その時はじめて自身の命と対価を天秤に掛けるといった土俵に上げる事が出来ます。

このお話を私の視点から考えれば、短いスカートを穿いていて痴漢された事が主役ではなく
「あの短いスカートの女の人を痴漢すれば10万円あげる」
この視点に立って(痴漢する側)、それのリスクと得られる報酬を考える側だと思います。

今回、湯川氏は命と天秤にかけ、それを上回る対価が得れるとしての挑戦だったのかもしれません。
後藤氏は湯川氏を救うといった事がジャーナリストとしての使命、名誉、名声になると判断しての挑戦だったのかもしれません。

それらのリスクマネジメントに間違いがあったのか?

私はそうは思っておりません。
むしろ命と引き換えにするだけのビジネスチャンスにめぐり合い、それに挑戦したお二方に対し同じ経営者として尊敬の意を表するに値する事と思っております。

ですので、突発的に口にした「自己責任」といった意味合いは薄く、同じ経営者として「自己の責任」と判断しての記事でございました。

私の場合ですが日本で10万円で売買されるパソコンがイスラム国近辺では30万円で売れて100台まで販売可能だったとしたら、それはリスクと対価が釣り合いませんので向かう事はございません。
しかし、日本で10万円のパソコンがイスラム国近辺で300万円x100台で売れるとしたら、その時はリスクと対価を判断して行動に移す事があるかもしれません。

つまり、単純個人の自己責任ではなく、経営者として経営判断の先の結果。
これが私の言いたかった真意でございます。

ただ、こうした公のブログで軽率と受け取れる発言をしてしまった事は大いに反省しなくてはならない事と痛感いたしておりますので、今後は自身の発言に責任を持てる範囲のブログに自重させていただければ幸いに存じます。

近々公開予定の記事は「○○は面白い」「○○を持つ喜び」といったふざけた感じの記事でございますが、責任を持って投稿させていただきますので、今後とも当ブログを見守っていただければ幸いでございます。